晴ラン雨読&酔灯夜話

晴れれば思い通りの場所を走り、雨が降れば静かに書物を繰る。そして宵には酒を飲みとりとめもないことを語る。

<晴ラン雨読>山の辺の道

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2020年3月15日(日) 10:20-15:30

奈良公園⇒新薬師寺正暦寺弘仁寺⇒石上神宮⇒JR長柄駅 

26.4キロ 累積上り441m 累積下り485m

  コロナの影響で観光客の少なくなった奈良公園から出走。走り始めは天気もよくやや暑い感じ。

  春日大社の杜をしばらく走るとほどなく「新薬師寺」に。新薬師寺から住宅地の細かい道を

  進んでいくが標識が所々にあり、わかりやすい。中には鹿・猪除けのフェンスの扉をあけて畑の

  あぜ道を進む個所もあり標識には注意が必要である。そのため予定外であった「正暦寺」には

  山の辺の道のルートを外れてお参りし、図らずも日本酒発祥の地を訪ねることができた。ここ

  からは一部奈良マラソンのルートと重なり、3か月前のしんどい思いがよみがえてきた。奈良

  ラソンのルートからやや山に入って「弘仁寺」に、ここから強風で吹きさらしの名阪国道

  橋を超えて天理へ。天理で冷えた体と空腹をいやすため天理ラーメンを食べて、石上神宮へ。

  この付近で雨もちょっと降ってきて不安定な空模様。お参りを済ませ山の辺の道後半へ走る。

  残念なことに予定時間をオーバーしており、JR長柄駅に向かい万葉まほろば線に乗り、あすかの

  でお風呂に入り、大和八木の如意で一杯飲んで帰った。

 

 

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 薬師寺:寺伝によれば天平19年(747)に光明皇后が、聖武天皇の眼病が治るように行基に建立させ、七 仏薬師如来を安置したといわれています。かつては七堂伽藍が整った由緒ある寺院でしたが、現在は本堂〔国宝〕だけが残っています。東門・南門・鐘楼・地蔵堂はいずれも鎌倉時代の建造で重文に指定されています。また、境内全体に高畑独特の静かなムードがただよっています。本尊木造薬師如来坐像〔国宝〕とそれを囲む等身大の塑造十二神将立像〔国宝〕が有名です。(奈良市観光協会サイトより)

 

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正暦寺:正暦3(992)年、一条天皇の発願により、関白九条兼家の子兼俊が創建。10世紀創建の名刹といわれ、山の辺の道から山中に入ったところにある。かつては86あった坊も、現在では、本堂、福寿院、坊舎跡に残る石垣のみとなっている。白鳳時代秘仏として本尊の薬師如来倚像(重要文化財)が知られている。境内には楓が多く、奈良でも有数の紅葉の名所として古くから親しまれている。 (なら旅ネットより)

 

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弘仁寺:海抜180メートルの小高い山の中腹に本堂を中心に寺堂が建ち並んでいます。弘仁5年(814)嵯峨天皇の勅願で弘法大師が創建したと伝えられています。本尊は木造虚空蔵菩薩室町時代松永久秀の兵火により、大部分が焼失し、現在の本官は寛永6年(1629)僧宗全により再建されました。木造明星菩薩立像〔重文〕は現在奈良国立博物館に寄託中。(奈良市観光協会サイトより)

 

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石上神宮:大和屈指の古社。古代豪族物部氏の総氏神で、大和朝廷の武器庫だったとの記録もある。御祭神の布都御魂大神は神剣・韴霊に宿られる霊威。神武天皇がこの神剣によって、東征の際に悩まされた邪神を平らげたと伝えられている。かつては本殿をもたず、地中深く埋められた神剣と神宝を祀っていた。明治初期になって拝殿奥の禁足地の発掘を行ったところ、神剣韴霊をはじめ数々の大刀や鏡、玉類などが出土した。国宝の拝殿は神社建築としては最古のもので白河天皇の御代に宮中から神嘉殿を移築したものと伝えられている。楼門前石段上に建つ摂社出雲建雄神社の拝殿も国宝である(奈良市観光協会サイトより)